諏訪の風景

諏訪の風景

 私にとって短歌とは

短い自分史を振り返ってみると、己を殺して組織に仕えた公務員時代は凡そ創造的な生活とは程遠いものだった。その後、文化ホールや美術館を運営する財団に関係したのが、何らかの自己表現をしてみようと思い立つ切っ掛けとなった。
そんなとき友人から短歌への誘いがあった。高校時代、万葉集や古文が好きだったこともあって、その誘いに乗ったのが深入りの始まりだった。妻は、「あなたは短歌を仕事の積りでやっているのか」と言う。仕事への全力投球が短歌へも同じスタンスになってしまったようだ。
過日、三冊目の歌集を出した。地方紙二紙が取上げて、著者の「生きた証しの三冊目」、「人生観を詠んだ歌集」というタイトルが付けられた。私自身も、自分の生き様を吐露したものと思っている。ただ、これを他人様にお配りすることが良かったのかについては、未だ迷いがある。(平成26年5月号ナイル短歌工房誌掲載)

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いま、第三冊目の歌集「地上の寄留者」の後半部分に載せた歌論の再掲を中心にホームページともブログとも付かないものを立ちあげてみた。気楽にお読みいただければ幸いである。

  作歌に至る思考の過程

短歌を始めたころ、といってもまだ日は浅いが、短歌とは31文字の中で言葉を上手く並べれば良いものくらいに考えていた。しかし、すぐに自分の本来の性格が出てきて、大変理屈っぽい歌を作るようになってしまった。それには地元で参加した短歌結社が文語、旧仮名の使用を定めていたことが、拍車をかけたようである。

歌作りは理屈ではない、感性が必要である。しかも豊かな感受性が必要である。法律を学んで、市の条例づくり、法人の規約作りなどに係わってきた私には、立法技術のような点にばかり心を奪われ、他人の短歌読む場合にも、歌を吟味、鑑賞するのではなく、文の脈絡が通っているか、言葉遣いが文法的に合っているか、そんなことばかりが気になって仕方なかった。

では、感性とは程遠い私のような者はどうしたら良いのか。結論の出ないままここまで進んできてしまった。しかし、実際に採ってきた手法は、徹底した叙景歌を詠むことの中に次第に叙情がうまれてくることを期待するという方法に頼らざるを得なかった。

実際には諏訪湖を巡る、四季折々の諏訪の自然が短歌の材料となった。また、手当たり次第何でも育てている庭の花もその対象となった。それらを歌に詠むことが言わば自然詠という形になり、また、その自然の中を往来する私の生活の有様を歌に紡ぐことが生活詠という手法に出来上がってきた。

 こうした叙景、叙事のなかから、今の私の歌に叙情が生まれて来ているかは自分でも分からない。しかし最近では、これらの歌に加えて、学生時代から何時でも生活者の立場に立ちたいと思ってきた生活信条から出てくる社会詠のようなものや、日頃の信仰からくる思想詠のようなものをも作るようになった。こうした歌は、感性の不足している私の歌を補っているかも知れない歌群れである。

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 このページに載せた幾つかの歌論であるが、僅かな文章を書くにも、かなりの量の参考図書が必要となった。特に古い時代の資料集めには、図書館は期待できず、アマゾンのネット書店が大変役に立った。その他、インターネット古書店も大いに助けになった。もしそれらが無かりせば、何も書けなかったかも知れないと思うほどである。