諏訪の風景

諏訪の風景

作歌のポイント「人生をうたう」

時々近くの諏訪湖畔を散歩する。岸辺に植えられた花や木が四季折々に目を楽しませてくれる。これらの花の中の一つに合歓の花がある。小中英之が人生を詠んだ歌を思い出す。

・人生の終りはかくのごとあらん合歓の幻花の下を帰り来   『過客』

この一首から、小中は、「合歓の幻花」を彼の人生に譬え、とくに人生の終りに譬えている。またこの譬えは現実と夢想が混在している彼の歌の特性を表すものであり、この歌を引き立てている一語となっている。
繊細で淡く幻のように見える合歓の花は、夜になると生き物のごとく、眠るように葉を閉じる。そして、その花は、時期が来ると、突然に、その美しい花の形を保ったまま、何の抵抗もなく真っ直ぐ下に落ち、地上に散り敷く。
小中は2001年若い頃から抱えていた宿痾によって六十四歳の若さで他界した。「帰り来」というのは、文字通り帰って来たということであるが、そのように死を迎えるのであろうという意味である。本歌が掲載された「過客」は彼の死後刊行された遺稿集である。不治の病を持つ小中が全ての事物や現象を詠むとき、それは心の表象としてものである。彼の歌は、運命への自覚から来る研ぎ澄まされた言葉と巧みな表現に裏付けられた不思議な美しさと静寂をもっている。
また、彼の歌には人物はほとんど登場しない。花であり、四季であり、情景が多い。

・今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅   『翼鏡』

ここでは自分の人生と自分自身を「花の咲く駅」と言っている。彼の人生は一刻をこの世に留まる儚い停車場のようなものであった。
 諏訪湖畔の合歓の花は、秋には落ちて、頼りない鞘豆が枝から吊り下がる。風が吹けばカラカラと寂しげな音を放つ。あの美しい花の影はどこにもない。


(梧葉新聞32号・平成24年冬号)

0 件のコメント:

コメントを投稿