諏訪の風景

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私の好きな赤彦の歌一首

「安らかなる眠りに向ふ時のあひだ谷まの水の音を聞くなり」

この歌は、柿蔭集の「峡谷の湯」42首の中の「赤岳温泉数日」と詞書のある23首のうちにあり、周囲の静けさと心の穏やかさが染み透るような歌である。読む者の心に平安を与えてくれる私の好きな歌の一つである。
「安らかなる眠り」というのは、取りも直さず、眠りに向かう赤彦の気持ちが安らかだということである。また、結句を「聞こゆ」とせず、「聞くなり」と結んでいるところに、ただ聞こえて来るというのではなく、赤彦の方からせせらぎの音を心地よい音として聞こうとしている様子が伝わってくる。
八ケ岳の麓、山深い峡谷にある赤岳鉱泉(赤岳温泉のこと)での滞在は、当時アララギの編集、作歌、歌会、万葉集講義、執筆等に追われていた赤彦にとって束の間ではあったが、またとない良い休息のときであったと思う。また、このとき赤彦が瀬音を聞いた川は、赤彦にとって心のルーツのような川でもあった。と言うのは、赤彦は幼いころ父塚原浅茅の勤務地であった今の茅野市豊平地区の上古田に住んでいたが、その地を流れる柳川の上流に当たるのが赤彦がこの歌に詠んだまさにその川であったからである。幼い頃見聞きし、遊んだ川の源にある宿に泊まり、心の源流にも浸る思いで暫しの時を過ごしたことであろう。
赤彦は亡くなる前年の大正14年8月24日に赤岳鉱泉へ入り、28日まで滞在した。書簡集によれば、8月25日の中村憲吉宛の絵葉書に「頭少し疲れてここへ来た。赤岳直下で、つが林の谷あひなり谷川の音が高い。」と書いている。この時すでに赤彦の身体は癌に蝕まれているのであろうが、本人の自覚はなく、なんとなく頭が疲れているという感じであったようだ。
 当時は、谷川の流れの脇に建っていた赤岳鉱泉の建物は、昭和34年の伊勢湾台風で流されてしまい、その後、新たに山の上方に建設された。筆者はこの文を書きながら、若い頃、登山の途中訪れたその地を思い起こすとともに、50年の生涯を全力で走り抜けた赤彦に思いを馳せているところである。


(島木赤彦研究会会報第五四号・平成22年10月13日)

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