諏訪の風景

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美しい言葉の復活

何年か前の「短歌研究」の中に、「生きている言葉」「消えた言葉」という特集があった。その中に、「消えた言葉」として松平盟子さんが禁止の古語「な・そ」を取り上げ、この用法はいかにも古臭いと北原白秋の「春の鳥な鳴きそ・・」を例に上げている。現代には通用しないと言っている。しかし私はそうは思わない。私が若い頃、勿論戦後であるが、近所の小母さんが「なな御行き(行くな)」という言葉を現に使用していたのを聞いている。なんと柔らかい、思いやりのある言葉であろうか。私はこの言葉を復活させたいという思いもあり、過日、ナイル八月号に「な・そ」の実作を載せた。

 島崎藤村は、平安時代以降使われなくなっていた「はつか」という言葉を千曲川旅情の歌の中で復活させた。はつかは物の量が少ないことを言う「わづか」とは異なり、物の先端が辛うじて見えるという視覚的に捕らえた僅かなさまを言う言葉である。

私は生きている言葉、消えた言葉というように仕分けすること自体に違和感を持っている。言葉は、いままで日本人が生きてきた歴史そのものではないだろうか。消えたとされる言葉の中にも、本当に美しく良い言葉があるとすれば、私たち短歌人は、その言葉を復活させ、定着させることに努力する必要があるのではないだろうか。

 特に私は、語調を整え、感性を膨らませる「枕詞」に思いを寄せる。最近では、若い人たちの間でも使われているのを見かける。例えば「ぬばたまの」は私も何度か用いたことがある。ヒオウギの種子は漆黒で射干玉(ぬばたま)、と呼ばれる。この花を知っている人なら、黒や夜にかかるこの枕言葉を実感をもって使うことができる。安易に流れないように注意しながら今後も各種の枕詞を用いてみたいと思っている。枕詞の使用についても松平さんは好意的ではない。

(ナイル短歌工房誌アンソロジー・平成23年4月)

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