諏訪の風景

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船坂圭之介第四歌集「孤愁惜別」

― 歌人船坂圭之介のルーツ ―

死して後なほ残ればと夜を日に重ねつつ詠むこの短かうた

第四歌集巻頭の一首である。船坂氏が自分の生きてきた証しを残したいという心情はよく理解できる。されば歌集の題名「孤愁惜別」はいかなる意味であろうか。孤り身の愁いを持って惜別の歌を編んだように見えるが、そうではなく弧愁と惜別をするためにこの集を編んだというように解したい。何故私がそう思うのか。氏はもう一人ではない。氏には、終生無二の友としての短歌がある。氏の人生は短歌そのものであり、生きることは短歌なのだ。また、氏はいま、インターネット上の短歌界で幅広い活躍をしている。もはや氏は孤独ではなく注目されている渦中の人である。
 氏の人生には、二度の輝く時があった。一つは教育者として大学において、医学生を教育、指導し、また大病院の医療現場の最先端にあって治療と指導に当たってきた。この時期は、医療を通じて社会に貢献した輝かしい時であった。第二の輝かしい時は、悩み苦しみながら、病と闘うなかで、生きる証しとしての短歌をつくり、それを公にし、新しい人生を築きあげた今この時である。そして第二の輝きの方がより一層の光を放っているのではないだろうか。
いま、第一集から第四集までの歌集のすべての帯、表紙カバー等を取り去ってみた。一集から三集までは、全て真っ白である。そして、第四集の色は真っ黒である。これほどにシンプルで美しい外観の歌集の群れを見たことがない。
 さて、この第四集には、約千首という大量の短歌が載っている。この集を最初から読みながら驚くことは、これほどの数でありながら、全く平凡な歌がないということである。全ての歌が緊張という糸で結ばれている。たえず命と向き合い、闘っているからであろう。これは、氏の尊敬してやまない塚本邦雄の歌においても同じである。駄作の無いのが船坂短歌の唯一の欠点であるといってもよいくらいである。
 また装丁、造本の技術等においても、塚本邦雄の影響がある。塚本は、一冊ずつに大変拘った豪華本も出している。また、一頁、一行書きの歌集も出版している。船坂氏も「美研インターナショナル」の「アートへの提案」が陰にあるのかも知れないが、第一歌集から第三歌集までは、頁ごとの彩色、歌の行頭に高低差を付けるなどの工夫もしている。その中での極めつけは、一字空けの表記の仕方である。第四集は、殆んどが半字空けである。読みやすさが目的ならば、一字空けよりもこの半字開けの方がはるかに読みやすい。今後この形が短歌界に普及するかも知れない。
第二章、五十音短歌は、塚本邦雄がしばしば、連作に頭韻を踏んで作歌している、それがヒントになったのではないかと思われる。このように一見遊び風な作歌方法を以ってしても凡作をつくらない実力は、並大抵のものではない。
第三章、一○○首リレーは、インターネット上に五十嵐きよみ氏が主宰をしている「題詠一○○首」の投稿サイトへ氏が投稿した実作である。現在、若者による口語短歌が市民権を得ている中に、旧かなで挑戦する氏の意気込みを高く評価したい。また題詠百首を継続するためには、努力と忍耐、幅広い知識と順応性が要求される。氏の果敢な挑戦を大変羨ましく思う。
今回このように短期間で冊の歌集の刊行を可能にした背景には、氏が作る歌の全てがパソコン上で管理されていることがあると思われる。パソコンを用いれば選歌も割付も容易であり、短期間の編集が可能だが、時として不都合もある。第四歌集の中には他の歌集との重複歌が見える。重複を防ぐ方法は、巻末に五十音順の初句索引を付けるのが有効である。それはエクセルで並び替えれば容易にできる。本集は、全歌集ほどの大冊であるので、読者用に初句索引があった方が便利かも知れない。
 ところで、船坂氏の敬愛する塚本邦雄の歌は、短歌の主体である「われ」から出発して、虚構としての主体へと移って行った。しかし一見、塚本の歌と似ている船坂氏の歌には虚構がない。あくまで徹底した「私」性の歌である。叙情歌にしても心象歌にしても揺るぎなき私性から出ている。
船坂氏は、自身のブログの中で、塚本邦雄の初期の歌の中には暗い抒情の心に沁みる歌があり、それが彼の魅力であると分析している。私は、船坂氏自身の歌にも同様に暗い抒情が漂い、それが魅力となっていると思う。第四集のあとがきでも「どうしても悲しい思い出が先に立ち、歌集全体がやや暗めになってしまうのは止むを得ないことかも知れない」と言っている。
塚本邦雄について余りに多く触れすぎたかも知れない。しかしそれは、船坂氏の短歌のルーツが氏のあとがきにもあるように、塚本との出会いにあると私も思うからである。そのかかわりの中で氏は塚本の極端に難解な比喩や暗喩、技法等には影響されず、彼の美しい相聞歌や詩語、歌の調べ等に感動し、それらを自分のものとしてきた。そして船坂氏独自の人の心を打つ美しい歌の世界を築き上げてきたように思う。蛇足ではあるが、氏による塚本邦雄の評論集の発刊を期待している。
最後に氏のエネルギーを感じる歌数首を掲げてみたい。

はは持たぬ少年すでに八十年われか生くべく冬空あふぐ

つねに弧を盾とし生くる怯懦とも言はば言へ春 夜の雨を聴く

詩こそわがしがらみ夏の地の上は狂気乱るるまで熟したり

はつ夏の夜のかぎりを淫けり居り詩歌とはこは永久に幻


(ナイル短歌工房・平成21年11月号)

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